硫黄島にて

泡盛の杜管理人

2006年12月14日 00:57

沖縄や泡盛とは関係ないのですが、硫黄島に行ったことがあります。
今回はそのネタ。南の島ということで。
最近、硫黄島が急激に隆起しているということがニュースになっていました。

硫黄島は、東京から南に約1200km。東京とグアムのほぼ中央に位置しています。
小笠原の父島からも約200kmほど離れており、太平洋戦争が始まる頃には約1000名程度がいたそうですが、現在は民間人は住んでいません。
この島は、ご存じの方もいるかと思いますが、太平洋戦争の激戦の地で、日米ともに数万人の死者を出しています。

この戦殉者顕彰碑には、無くなった方々の故郷への思いを込めて、各都道府県産出の石が埋め込まれています。


このような硫黄島ですが、本当に何とも言えないところです。沖縄の島と雰囲気は全く異なります。
島内には、ガスが吹き出すため危険で立ち入りできない場所もあります。
足の裏が何となく温かい(火山活動の影響か)ところもあります。



島全体が硫黄でできており、あちこちから水蒸気が吹き出しているところもあります。




厳しい自然環境の中で、激戦が繰り広げられてきました。その爪痕は未だに残っています。


宿舎近くの本部司令部跡です。厚さ数mにもなる鉄筋コンクリートの司令部が、爆撃によってぐちゃぐちゃになっています。


 



硫黄島の地理的特徴や戦争時の状況などは、硫黄島探訪のページに詳しく記載されています。


一方、亜熱帯気候なので植生などは比較的沖縄と似ているのではないでしょうか。

バナナやパパイヤなどの植物が育っています。天然なのか、誰かが栽培しているのかは解りません。


映画、「硫黄島からの手紙」は見ていませんが、擂鉢山に星条旗を掲げる4人の海兵隊員は当時、ニューヨークタイムズ誌に掲載されて有名だそうです。
それだけ、当時の米軍がこの硫黄島を重要な拠点と考えていたのです。
(当時の航空機では、ここで給油しないと東京まで直行できない。つまり、硫黄島が落ちた事によって、東響への直接の空襲が始まったのです。)
現在でも、擂り鉢山にこの壁画があります。



ここは、勇み足砲台と呼ばれているところです。山腹に偽装して設置され、米軍上陸後に発砲する計画だったのに、事前に発砲してしまったため位置を暴露し、米軍の反撃にあって全滅した。と言うことから、そのように呼ばれているのですが、実際に何十という艦隊に囲まれて艦砲射撃を受け、勇み足もないと思います。


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