2008年02月18日
旧海軍司令部壕
前々からこのあたりを良く通っていたのですが、いままで行く機会が無く、一度は行ってみたいと思っていた場所です。
旧海軍の司令部壕の跡です。
現在は、海軍壕公園となっています。
海軍壕公園は、那覇市と豊見城市の境界に位置し、那覇市中心部より南約 3km の閑静な住宅地に囲まれた場所に立地しています。太平洋戦争末期、旧日本軍の司令部が置かれ、縦横に掘り巡らされた広大な壕において、多数の将兵が玉砕してた場所です。現在、旧海軍豪を核として戦争の悲惨さと平和の大切さを訴えている場所です。

旧海軍司令部壕は、熾烈を極めた沖縄戦において、当時、日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部のあった所で、司令官大田実少将ほか約4000名の将兵が、この壕で壮烈な最後を遂げた。
昭和20年6月13日午前1時頃のことです。
迷路のような壕内には、司令官室、作戦室、発電室などが当時のまま残され、将兵が鍬やツルハシで壕を掘った跡が、生々しく保存されています。
また司令官室の白壁には、『大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり』という大田少将の愛唱歌が当時のまま残されており、壕全体が、太平洋戦争末期の悲惨な歴史を伝える平和希求のモニュメントと言えます。
旧海軍の司令部壕の跡です。
現在は、海軍壕公園となっています。
海軍壕公園は、那覇市と豊見城市の境界に位置し、那覇市中心部より南約 3km の閑静な住宅地に囲まれた場所に立地しています。太平洋戦争末期、旧日本軍の司令部が置かれ、縦横に掘り巡らされた広大な壕において、多数の将兵が玉砕してた場所です。現在、旧海軍豪を核として戦争の悲惨さと平和の大切さを訴えている場所です。
旧海軍司令部壕は、熾烈を極めた沖縄戦において、当時、日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部のあった所で、司令官大田実少将ほか約4000名の将兵が、この壕で壮烈な最後を遂げた。
昭和20年6月13日午前1時頃のことです。
迷路のような壕内には、司令官室、作戦室、発電室などが当時のまま残され、将兵が鍬やツルハシで壕を掘った跡が、生々しく保存されています。
また司令官室の白壁には、『大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり』という大田少将の愛唱歌が当時のまま残されており、壕全体が、太平洋戦争末期の悲惨な歴史を伝える平和希求のモニュメントと言えます。
壕の内部は、入り組んでいて、当時の貧弱な道具で掘った跡が生々しく残されています。
司令室、作戦室、幕僚室、通信室、発電室などがあります。
兵士用の部屋は本当に狭いもので中で、立ったまま眠ったそうです。
沖縄を訪れたら、一度は訪ねていただきたい場所の一つです。
旧海軍司令部壕
司令官から、海軍次官に宛てた最後の電文の一番最後に、このような言葉が記されています。
『沖縄県民斬ク(かく)戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』
司令室、作戦室、幕僚室、通信室、発電室などがあります。
兵士用の部屋は本当に狭いもので中で、立ったまま眠ったそうです。
沖縄を訪れたら、一度は訪ねていただきたい場所の一つです。
旧海軍司令部壕
司令官から、海軍次官に宛てた最後の電文の一番最後に、このような言葉が記されています。
『沖縄県民斬ク(かく)戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』
タグ :海軍壕
Posted by 泡盛の杜管理人 at 23:41│Comments(0)
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